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きらきらひかる

最近、図書館で本を借りて読む。
買って読むべきなんだけど、もともと私には本を読む習慣がないので、まずは練習のため。


「絶交なんていう言葉は、そんなに簡単に使う言葉じゃないんだよ」

借りてきた短い小説の中にあった言葉。

絶交、ではないけれど、さっき下書きに書いた文章のことが思い出されて、チクリとする。


週末、三宅島で天の川をはじめて見た。
台風が残していった強い風で、煙のように走る雲の隙間から。
天の川って都市伝説かと思ってた。ほんとうにあった。


色褪せたり、片方なくしたりした安いイヤリングの代わりに、またかわいくて素敵な安いイヤリングを買ってくる。
服や靴はそろそろいいものを買うようにしなきゃと思うけど、イヤリングは安物を取っ替え引っ替えすること自体が気に入っている。


苦しくなって自分の誠実さを勢いよく床に叩きつけるのに、ちっとも潰れずペチペチ跳ねるだけで、ぜんぜんだめだ。


2018年10月10日(水) 06時23分

アゲハとレモン

新しい家族が増えました。

子どもができたわけでもペットを飼ったわけでもなく、アゲハチョウの子どもたち。

要するにイモムシです。


もう3年ほどレモンの木を育てている。
私の世話が雑なので枝ぶりはヘンだし実もつかないけれど、とてもいい香りの白い花が年に何度か咲く。

ただ厄介なことに、春と秋になるとアゲハチョウのお母さんがやってきて卵を産み付けてしまう。
ベランダの陰に隠しておいてもダメ。いつのまにか鳥のフンに擬態した黒い虫がいて、そのたび割り箸で取ってアパートの植え込みにぶん投げている。

「アゲハのお母さん、こんな奥まったアパートのデッキにある小さなレモンをよく見つけるな」といつも感心する。
蝶の目は複眼だというから、きっと空から360°くまなく見て探しているのだろうけど、それにしたって……。
私の家には他の植物もいくつかあって、ガジュマルの葉なんか柑橘の葉に似ていると言えなくもない。でもけして間違わず、レモンだけに産み付ける。なんで。

気になって調べてみた。
アゲハは前脚で葉っぱの味を調べることができるらしい。
ふーん、なるほどね。

…………はい?


とっさに妖怪「手の目」を思い出したけど(水木イズム)、べつに手に口があるわけじゃなくて前脚の先端に感覚毛があるそうで、脚で葉っぱを叩いて(ドラミングという)柑橘特有の成分を感知したら、その木で産卵するのだという。

「じゃあ、そもそもなぜ柑橘?」という疑問がわいてくる。
アゲハの優雅なイメージから、なんとなく「私、フレッシュなレモンやオレンジしか食べないの」という偏食に思えるけど、ちゃんと理由があるらしい。
柑橘類には特有の香りがあって、他の昆虫はこれを嫌って食べない。他の虫が食べない柑橘を主食にできるよう進化すれば、生存競争を勝ち抜ける。アゲハは柑橘の他に山椒にもよく卵を産むけど、山椒も強い香りがある。他の虫が食べないゲテモノを克服したのがアゲハチョウというわけで、けっこうガッツある。



前置きが長くなってしまった。

そんなアゲハのお母さんとの闘いを繰り返していたら、先日、急に心が折れた。
レモンの木に幼虫を見つける→つまんで投げる→アゲハのお母さん産みに来る→孵化する→つまんで投げる→産みに来る→孵化する→ああああああああ!!!!!

こんな住宅地の小さなレモンの木を探して産んでいくのも健気だし、そうやってやっと生まれた幼虫を、私はこの数年でいったい何匹ぶん投げたのか?
「柑橘しか食べない=ぶん投げたら餓死する」のに。

園芸をすることは、それ自体が自然な行為ではなくて、そこにあるはずのない植物を人間のエゴで鉢に閉じ込めて育てている。
そうやってエゴで育てている木に虫がついたら、その木のために「命を奪う」という業を背負って殺さなければいけない。
その覚悟ごと園芸だ。遊びじゃないぜ。

と思ってはいるものの……。

なんだかつらくなってしまって、もう何も殺したくなくなってしまった。
秋のせいだ。きっと。
あんなに派手にぶん投げてたのに急にイヤになってしまった。ほんとに急に。


もういいや、と思って、アゲハの子どもたちにレモンを差し出すことにした。

ぶん投げて捨てていた幼虫を捨てるのをやめたとき、「私はレモンを捨てたのかしら」と思った。

レモンに冷たくしたのは、すこし自分を重ねたからだと思う。
いつまで経っても、ぜんぜんうまくいかないレモン。
一旦、高いところから飛び降りるみたいな気持ちですべて差し出したら、どんな気分だろうか。
自棄になったのだと思う。
見捨てる気持ち半分、強制的にやり直しをする気持ち半分。


そうと決まれば簡単だ。なにもしなければいい。
レモンはどんどん食べられている。子どもたちは全然動いていないように見えるけれど、朝晩よく見ると葉っぱが減っている。そのうち丸坊主になるだろう。
幼虫は数日ごとに脱皮を繰り返しているらしく、鳥のフンそっくりの黒いイモムシから緑のイモムシになったのが3匹。そのうち1匹は他より大きい。
あと大きさの違う鳥のフンたちがまだ5、6匹いる。きっとこんな小さなレモンの木では全員養うのは無理だろう。


結局、あの子たちの何匹かは死ぬんだろうな。
レモンは丈夫な植物だけれど、苦手な冬が来る前に丸坊主にされたら死ぬかもしれないな。


私は何がしたいんだろ。



朝晩眺めているとアゲハの子どもたちに愛着がわいて、なんだかうれしい。

でも、レモンも死なないでほしい。

もし乗り越えられたら、今年の冬はうんとあたたかくして、来年の春には植え替えをしよう。防虫ネットをかけて次のアゲハのお母さんたちにはお帰りいただこう。もっと大きい夏ミカンとか探して産んでね、って。


ホント何がしたいんだろ?


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今朝はレモンから落っこちたイモムシを割り箸(かつてぶん投げるために使っていたアレだ)で拾って戻したら、怒ってオレンジ色の角を出したので笑ってしまった。家族みたいになってきた。
※角は「臭角」という。威嚇するときは普段しまっている角を出し、そこから強い臭いのする液を放つ。怖いので嗅がなかった。臭角って。字からしてヤバい。


2018年10月03日(水) 19時34分

活きのいい固形コンソメ

風邪ひいちゃった。

サプリをたくさん飲んでいて、ずっといい調子ではあったんだけど、やっぱりこの時期に半袖で寝たりしたらちゃんと風邪ひくのな。

薬を飲んで、温かいスープを飲んで、寝る。

ずるずるとやることが続いていて、夏休みはまだ取れず。
広告を作るという仕事柄、いつも数ヶ月先のことばかり考えている。
そうすると“今”がどこかに行ってしまうので、必死に季節を感じようとしている。
また金木犀が咲き始めた。
「金木犀の季節はいつもこうだな」と、すこし笑ってしまう。
※私の詩集に金木犀の詩があるので、お手元にあったらちょっと読んでみてください。なかったら買ってください。それはいやですか。そうですか。では死後裁きに(以下略)


最近、野菜が高くて困る。
私の最強の食生活は「朝晩プロテイン」で、これをやれば痩せるし食費も安く上がるし体調も良くなるので本来なら家で料理をしない(=食べない)ほうがいいのだけれど……やっぱりたまには料理しなきゃという気になる。人間らしさを失わないために。

冷蔵庫に残っているキャベツと、冷凍庫で化石になっていた厚切りのベーコン、それにしめじともち麦でスープを作った。
とびきり“新鮮な固形コンソメ”を使った。

それまでうちにあった固形コンソメは、全部ふやけていた。
昔、恋人がうちに来たとき、お風呂のドアを閉め忘れることが何度もあり、そのたびキッチンにまでもうもうと湯気がまわって「ぎゃー!! コラー!!」となって笑っていたのだけど、そのとき戸棚に雑に突っ込んでいたコンソメがふやけたからだ。

そんな思い出のふやけたコンソメも無事使い終わり、今日からは新鮮なコンソメ。
金色の紙を剥くとキリッと角が立っていて、いかにも活きがいい。

たっぷりの野菜をバターで炒めて、水を入れて、コンソメを投げ入れる。
簡単すぎて料理なんて言えないけど、それだけでちゃんとうまい。えらい。



みんな強く見える。私はずっと、人より弱い。
人の愛し方だけは褒められるけれど、そんなものは私が死んだあとでいい。
あと何年生きるかわからないけど、冷静にも打算的にもなれないまま、憐れまれたり笑われたりして一生を終えるんだと思う。
褒められるならその時がいい。
磔の絵になったときでいい。


金木犀の香りが好き。
早く咲いてほしい。
そして早く散ってしまってほしい。

私はなんにも変わりません。



2018年09月23日(日) 08時45分

死んでる人に会いに行く

9月もあっという間に10日過ぎて、その間いろいろしたはずなのに、なにをしていたのかろくに覚えていない。

どうせそんなに大切なことはしなかった。
友人に長いメールを書いて送ったことだけが、本当のことだった気がする。

それ以外は、ものを食うのも、掃除や洗濯をするのも、仕事をするのも、ぜんぶなんの意味があるのかわからない。

だからあの長いメールが気がかりだ。
私の言葉が無意味なだけなら私の存在の無意味さを写したというだけで済むけれど、もし無意識に刃物や鈍器や汚いものを仕込んでしまっていたら。
そんなことをしていたら。



生きている人が誰も私に会いたがらないので、死んでいる人に会いに行こうと思った。
死んでいる人はいい。
急に会いに行ったって文句を言わないし、嫌な顔もせず必ずそこにいてくれる。


会いたい人、高村光太郎のお墓は駒込にあるのだという。

亡くなった4月2日は「連翹忌」と呼ばれる。
れんぎょうき、と読む。
連翹は、春になると地際からたくさん伸びた枝いっぱいに黄色い小さな花の咲く木。
河原の土手なんかだとよく桜の下に植えられていたりする。
花の咲く時期も近いので、上は桜色、下は黄色の、のどかな景色が見られる。

亡くなった頃が連翹の花の咲く頃だからだと思っていたけれど、調べると「光太郎がこの花を好んだから」だと書いてある。



白い紙に包まれた菊と季節のお花を抱えて、電車に乗って会いに行きたい。
そのときは、とびきりのおしゃれをして行きたい。

しかし縁もゆかりもない、ただ会いたい人のお墓にお花を持っていってもいいのだろうか。
勝手にお参りしてもいいのだろうか。


近くに谷崎潤一郎や芥川龍之介のお墓もあるそうで、困ったな。

でも、光太郎さんは特別だから。


2018年09月10日(月) 23時27分

くよくよポジポジ

ひとり暮らしをして3年。
手がすべってお皿を割ったのは1枚だけだったのに、今週だけで2枚も割ってしまった。

ひとつは探せばまた買える量産品。
でもひとりで暮らしはじめてから少しずつ揃えた思い出のお皿。
気に入っているのでまた買うつもりだけど、「欲しかったArabiaのお皿を買おうかな」なんて思ったりもした。

もうひとつは、前の勤務先の病院の患者さんが沖縄で買ってきてくれた2枚の豆皿のうちのひとつ。
私が「沖縄の焼き物が好きで、田村窯にお皿を買いに行きたいんです」と患者さんに話したら、わざわざ家族旅行の時に買ってきてくれた。
その患者さんの思いやりごと割ってしまった寂しさがあるけど、残ったもうひとつの豆皿の相方を探しに「沖縄に行く目的ができたな」なんて思ったりもした。


くよくよ悩むくせに変にポジティブ。いつも。



「今週さ、2枚もお皿割っちゃった。死ぬのかな」

遊びに来たKちゃんに言ったら、

「死ぬんじゃん?」

と言われた。


扱いが、雑!!!(好きだけど)


2018年09月02日(日) 23時35分