ビバーク

口の中がぐしゃぐしゃだ。

急に抵抗力が落ちたせいか、全部がただれている。
あまり効かない痛み止めを飲んで、リステリンで口をすすいでみたり、ビタミン剤を飲んだり。

何年も前に抜いたはずの親知らずが痛む。
そんなはずはないので歯肉が腫れているだけだと思う。
別れた人の思い出みたいだ。ばかばかしい。


親友にSOSを打つ。
でもすぐに、毎日忙しい彼女を余計なことで悩ませてしまう罪悪感におそわれる。
「大丈夫」「何も気にしなくていいんだよ」と返事がある。
「お互い何度も見せ合っての今だよ」と言われて安心して思っていることを話したら、ホッとして眠くなった。
昨夜あまりよく眠れていなかったのかもしれない。

どうやって暮らしていこう。
とにかく良くなるまでジッとしているしかない。


恋人はどうしているだろう。
最近思ったけど、私はあの人が大声で笑うところを見たことがない。
いつも穏やかに笑う。
背が高くて、ハスキー犬に似ている。

あの人も、くだらないことでお腹が痛くなるぐらい笑ったりするんだろうか。

好きな人のことを、もっとたくさん知りたい。


2018年02月20日(火) 09時23分

頑張っております

週末は実家に帰り、友達と会ってスパに行ったり、母とホットケーキを焼いたり、父にタブレットの使い方を教えたりして過ごした。

夕飯に親子3人ですき焼きを食べた。
食器は私が洗った。
キッチンの浄水器が汚れていたので、ついでにパーツを分解して消毒して組み立て直しておいた。


昼間、母と日用品を買いに出かけた帰り、近所の奥さんに会った。
「今日は風が強いですね」と話しかけられ、母の横でニコニコしていたら「あら、きれいなお嬢さんね」と言われた。


私はけして「きれいなお嬢さん」などではないけれども、ご近所さんに会ったら感じよく会釈ができ、それなりにいい印象を持たれる人間にはなれたのだ。

私は私の人生を、そのぐらいまでは頑張った。

よく頑張った。


死にたい気持ちを横抱きにしている。
奥歯が腫れて痛む。
酷い頭痛がする。
かすかに熱がある。
「もう無理、もう限界」と止まりそうな心を、ハイヒールの足でしなやかに蹴り上げて歩かせながら日々暮らす。

私の死にたさなんて、理由のあるものだから偽物だよ。

明日にはすっかり消えてしまうよ。

2018年02月19日(月) 22時06分

服を資源ごみに出す

先日、なんだかたまらない気持ちになって、着古した安い服をビニールにまとめて捨てた。


勢いよくクローゼットを開けて捨てるべき服を探したけれど、安くてもそれなりに気に入るものしか買っておらず、あまり乱暴に捨てたくなるようなものはなくて、それもなんだか貧乏くさくてちょっと哀しかった。

それでも、首のヨレたニットや、ゴムが伸びたスカート、肩の飾りの取れたトレンチコートなど、着ないまま一年以上取ってあったものを乱暴に袋に放り込んだ。

が、すぐに袋から出し、正座してきれいにたたんで「ありがとね……」と言ってから、丁寧に入れ直した。

少しだけクローゼットがすっきりした。


「クローゼットの中は10着でいい」なんて話があるけれど、「そういうことじゃないんだよ!」と思う。
10着の高くて良い服を着回したいわけじゃなくて、服が好きだから、いろんな色・柄・形の服が着たい。

ミニマリストはえらいと思うけど、わかってねーな、と思う。
たぶん、向こうもわかってねーな、と思っていると思う。

とはいえ、安い服ばかりたくさん持っていてもなんだか虚しい。
「プチプラ」も「高見え」も好きだし得意だけど、安くて良いものを追求してしまう自分は「すてき」の対価をきちんと支払わないズルい人のような気がして。

すてきなものには、ちゃんとお金を払わないといけない。
すてきで安いものばかり支持していたら、作る側の誰かが泣くことになる。
そういう他人へのしわ寄せが巡りめぐって、いつか私自身の価値を下げるのだ。
「誰も対価を払ってくれない安い女」になるのだ。

というのは妄想かもしれないが、服を捨てて空いたスペースには、よく吟味して今より少しだけ上等な服を買おうと思った。


水曜日は資源ごみの日なので、段ボールと一緒に古い服を詰めた袋をゴミ捨て場に出した。
その日は、「あの服たち、ちゃんと再利用されるのかな」「何になるのかな」と、ずっと考えてしまった。

服を捨てるのは、すっきりするのと同じぐらいさびしい。



気になって調べたら、資源ごみの日に捨てた衣類は、まだ着られるものは東南アジア方面に中古衣類として輸出され、着られないものは再生繊維や工業用ウエスとして再利用されるらしい。
無駄にならないとわかってホッとして、ちょっと泣きそうになった。

「リサイクルショップに持って行ったら買い叩かれるし、メルカリは民度が低くて山賊みたいのがいるイメージで怖いし、燃えるごみとして捨てちゃおうかな」と思っていたけれど、これなら資源ごみに出すほうがずっといいということがわかった。よかった。

【参考】
資源回収日に出した古着はどこへ!? 横浜の最新「古布」リサイクル事情を追う![はまれぽ.com]



2018年02月15日(木) 07時55分

好きな人の話をする人

会社から駅までの帰り道、マクドナルドや飲み屋の並ぶガチャガチャした道を抜けて歩道橋の階段を上がったところで、視界が一気に開ける。

正面に高いビル。
足元に幹線道路。
左は浜松町や新橋。
右は泉岳寺や品川。

冬の夜は空気がキリッと冷えており、ビルの窓明りや道路を走る車のテールランプがキラキラとして、いとをかし。

ここでちょっと息を吐いて体の中の空気を入れ替えてから、混雑する駅に向かう。


「みんなもっと好きな人の話をしてくれよ」

最近、好きな人の話をする人が減った。
たぶん私がいい歳だからなのと、あまり年下の友達がいないからだ。
みんな結婚してしまったせいか、旦那さんや奥さんの話をするとき「好き」という言葉を使わない。
きっと好きだろうに、なんでだ。


この前、めずらしく友人の好きな人の話を聞いて、なんだかとてもよかった。

好きな人の話をする人が好きだ。
無防備で丸腰だから。
切実だから。
もうどうしようもないから。


みんな、もっと好きな人の話をしてくれよ。


2018年02月13日(火) 22時45分

バグダッドカフェとメールの話

この前「次回は腹筋の話」と書いたけれど、腹筋の話より今はただ淡々と毎日の話がしたくて、早く腹筋の話を片付けてしまおうとするもなかなか書けないので日々の話ができず苦しい、という変な状況になった。

私は何をやっているんだ。

いいや、ゴールドジムの話はまた今度。
それより自分を救おう。


◆◆◆


週末、映画「バグダッドカフェ」を観に行った。
家から5分のシネコンで、午前10時から昔の名画を上映する企画をやっている。
上映される映画は、だいたい1~2週間ごとに入れ替わる。
私は「バグダッドカフェ」がどうしても観たくて、半年以上前から上映を待っていた。

主題歌の「Calling you」はあまりに有名で、大好きな曲だ。でも映画自体を見たことはなかった。
私は普段あまり映画を観ない。嫌いなのではなく、あまり観ない。音楽も本も。
よくないと思いながら、なんとなくそうやって生きてきてしまって。

ただ、この映画は曲が呼んでいる気がして、どうしても観ておきたくて楽しみにしていた。
映画がもし肌に合わなくても、曲が好きなことに変わりはないのでいい、と思った。
ネットのレビューも読まずに、どんな映画か知らないまま観に行った。

キャラメルポップコーンとホットコーヒーを買って席についたら、隣は星野源みたいな、いかにも映画好きそうな若い男の子で、あまり混んでいない映画館でなぜか隣り合ってカップルのようになってしまった。ぜんぜん他人だけど。
休日の朝10時から、知らない男の子と並んで映画を観る、という非日常な感じは悪くなかった。

映画は、私が生まれてから今日まで観た中でいちばんいい映画だった気がする。
不器用な女性たちの不器用なさびしさが、ちゃんと幸せに“返って”いく映画で。
(『変わって』『戻って』『帰って』など考えたけど、『返って』のような気がした)

幸せになりたい。なれるかな。なりたい。

隣の星野源ボーイには、伝わっただろうか。あの不器用な大人の女性たちのさびしさ。やさしさ。幸せ。


恋人に「すごくいい映画だった」と伝えた。「いい映画だったんだね」と返事がきた。
それだけで終わりにすればよかったのに、映画の中の彼女たちより破滅的に不器用なことを言ってしまった。

暗がりを恐れる子どものような私に、忙しくてやさしい彼はきっと困っている。
「彼」は「私」じゃないのに、どうしてわかってほしい、わかりたい、なんて思うんだろう。
嫌われてしまったかもしれない。
この世の終わりみたいな気持ち。
ブレンダが店の外に置いた埃っぽいソファに座り込んで無表情で涙を流していたシーンを思い出す。





◆◆◆


前回、「もしこのブログを読んでいる人がいるなら関わりたい」と書いたところ、思った以上にメールやメッセージをいただいた。
「読んでますよ!」とさわやかなひと言メールをくれた方、ご自分の出来事を丁寧に書いてきてくださった方もいた。

誰もいないと思っていたら、じつは人がいた。
見えなかったものが見えるようになった気がした。
見えないままじゃなくてよかった。

おひとりおひとりに心を込めて返事を書いた。
こういうことがしたかったんだ。
私は誰かの話を聞きたくて、誰かに話を聞いてほしい。

音のない世界で叫んでいると狂ってしまいそうで怖い。
私は弱いし、私は凶暴だ。
弱さや凶暴さを持って人と関わることは、正直怖い。
答えは出ない。けれど、弱さや凶暴さの手綱を引きながら人と関わることを選んでいる。
情けないほど人が好きで。


メール以外でも、とてもうれしいことがあった。
Twitterで、ラッパーのMCビル風さんが私の詩集を購入して読んでくださっていることを知った。
Twitterは眺めるだけにしているけれど、そんなルールは一瞬で忘れてリプライをし、初めてご挨拶をしてお礼を言った。

じつは私が前回書いた「気になって読んでいるブログ」はビル風さんのブログだった。
ビル風さんの言葉は常にとても真摯で、刺さる。

去年の春、桜がちょうど満開の頃、「仕事の後に花見をしながら散歩したい」と言ったら、「行きましょう」と友人のYZさんが賛同してくれて、コンビニでお酒を買って飲みながら歩いた。
雨まじりだったけれど、桜はめちゃくちゃきれいだった。
私もYZさんもすごくたくさん歩く人なので、なんだかんだ話しながら新宿から神保町まで歩いた。
何の競技だ、という距離だけれど、歩きながら哲学的な話ができて私は楽しかった。
そのとき初台のミニストップの前で、買った缶ビールを開けながら「ビル風さんってどんな人ですか」と、ビル風さんを知るYZさんに聞いたりしていた。

詩集の感想を「血を流して生み出された表現は真っ直ぐに伝わります」と言ってもらった。
私はビル風さんの表現に対して、同じように感じている。
いつか詩集をお渡ししたい、と思っていたので、まさか発売時に買ってくださっていたなんて「こんな素敵なことがあるんだな」と、ありがたい気持ちになった。


書くことの意味を失いかけていたけれど、書いていたらこういうこともあるんだ。
書かないと、こういうことはないんだな。


2018年02月06日(火) 13時15分