1万円拾って届けた

家を出て駅に向かって歩いていたら、4つに折りたたまれた1万円札が落ちているのを見つけた。

一瞬「エッ、ヤダ……」とそのまま通り過ぎようかと思ったけれど、「いや、1万円は大きい……」と思い直して拾い上げた。
落とし主を探して周りを見回しても、誰もいない。

財布ならともかくナマのお札だったので、ちょっと面倒になって正直ネコババもほんのちょっとだけ、ホントにちょっっっ……とだけ頭に浮かんだけれど、駅前の交番に持っていくことにした。

しかし「誰かがわざと置いておいて、ネコババするところを眺めていたらどうしよう」と思ったので、1万円を指先でつまんだままバッグには入れずに歩き出した。

「ヤダ……」と思いながら折りたたんだ1万円をつまんで歩いた。(うっすらヤバい女だ)

私は過去に2回、落とした財布を届けてもらったことがある。
1回目は牛久大仏でレモン牛乳アイスを食べて浮かれて置き忘れたとき。
2回目は強風の中でバイクに乗っていてバッグのジッパーが開いて財布がすっ飛んだとき。(と、その後

そのとき見知らぬ人に掛けてもらった情けを、ついに返す時が来た。


4つに折りたたまれた1万円は、いったいどこから来たんだろう。
昔、おばあちゃんがくれたお年玉袋に入っていた1万円はこんな感じだった。
「子どもが落としたんじゃないか」と思ったら胸が苦しくなった。
お願いだから、交番に行ってみて。私、これから届けるから。


交番に行くと、おまわりさんがササっと書類を作ってくれた。
「所有権はどうしますか?」と聞かれ、「なんですか?」と聞き返したら、もう一人のおまわりさんが「権利は持っておいた方がいいですよ」と言った。

簡単に言うと、1万円を拾って届けた私には、

1.1万円を届けるのに要したお金を落とし主に請求する権利
2.落とし主が現れたときお礼をもらう権利
3.落とし主が現れなかった場合に1万円をもらう権利

というのがあるらしい。

1は通勤のついでに歩いてきたので不要。
2は落とした人にお金が戻ればそれでいいので不要。
「じゃあ、落とした人が現れなかったらもらいたいです。えへへ」と言って、3の権利だけ持っておく書類を作ってもらった。
「もらいたいです」って言うのちょっと恥ずかしかった。でも国にあげるのはイヤじゃん。何に使うかわかんないし。

昔、痴漢を警察に突き出した時は調書を取られるのに数時間かかったので、さすがにそれほどじゃないにしろ書類の作成に30分ぐらいはかかるだろうと覚悟したけれど、手続きはものの5分で終わった。早い早い。
控えを渡され「落とし主が現れても警察からは連絡しないので、この期間になったら警察署に電話してみてください。誰も来ていなかったらあなたのものになりますので」と言われた。

しかし受け取るには警察署に行く必要があり、しかも平日の昼間しか受け渡しはできないのだそう。
そういえば財布を落とした時もそうだった。わざわざ仕事を早退して取りに行ったんだった。2回目はどうしても休めなかったので委任状を書いて父母に渡し、観光がてら取りに行ってもらった。

落とし主が現れなかったらこの1万円あげるから、土日もやってくれよ。だめですかね?


「わかりました。見つかるといいんですけどね」
「うーん、裸銭はなかなか落とし主が見つからないんでね」

お金そのものって「ハダカゼニ」って言うのか。おまわりさんサグい。


これで安心。
落とした人、ダメ元で交番に行ってほしい。ダメじゃないので。

落とし主が現れず、1万円が私のものになるのは9月。
どうなるでしょう。


2018年06月21日(木) 19時19分

脱・都合のいい女

ものすごい愛さんという、コラムニストさんのTwitterを読んでいて、おもわずブックマークした言葉。

都合のいい女にならないためには「自分はどう思うのか」「自分は何がしたくて何がしたくないのか」「相手に何をして欲しくて何をして欲しくないのか」みたいな自我が大事だと思う、自我がない人や自我はあるのにないふりをする人とは誰だってうまくやれないよ。



鞄の中にぐちゃぐちゃに入っているものを、一旦すべて出して、きれいに並べてもらったような言葉だ。

なんて痛い。
痛すぎるので恋愛に当てはめることからは目を背けてしまうけど、たぶんこれって人付き合いすべてがそうなんだと思う。

すこし前に知り合いになった女性に飲みに誘われ、「新しい友達うれしいな~」と喜んで行ったら一方的に自分の話だけされて、私は何も話せぬまま「なんだったんだ……」と思いながら帰ってきたことがあった。
その後、お互いに連絡は取っていない。

飲み会の日の私は、言いたいことを言いたいだけぶつけられる上に相槌を打ったりたまに聞き返したりしてくれる女で、めちゃくちゃ都合がよかっただろう。
しかし都合よく使っている自覚のない彼女には「自分のことを話さないつまんない人だな」と思われたんだろう。

最悪だ。
たぶん私が悪い。(いや、私と彼女の相性も悪いが)

私は自我があるのに、いつもないふりをしてしまう。


相性って、自我がマッチするかどうか。
だめな人はだめで、いなくなる人はいなくなるんだってこと、ちょっとずつ自分に教え込みはじめたのは、つい最近のこと。
昔からその判断が上手な友達とか、スパッと男と別れたりしてて「すごい」って思ってた。「ちょっと冷たいけど」とも。

でも、どう考えたってそれが正解。
いままでの私が不正解。

2018年06月19日(火) 14時08分

引っ越したいのは

ずっとぼんやりと「引っ越したいな」と思っている。

しかし住んでいる街も物件も、友達から「一生住んでそう」と言われるほど、何も不満がない。

もともと便利な街だったが、この3年でさらに便利になって、駅ビルはリニューアルし、服屋や雑貨屋、おいしいごはん屋さんやおしゃれカフェが増えた。
数十年がかりだったバイパス道路が折よく開通して急に実家が近くなり、高速道路が開通し、駅にホームドアがついた。

どんどん便利になっていく。
なんだこれシムシティか。

遊びに来た友達がみんな「ここいいね」と言う。
適度にのんびりしていて、十分に便利だからだ。
「吉祥寺の次に流行るのは、この街じゃないか?」と思っているんだけれど、どうだろう。
引っ越さずにマンションでも買った方がいいのだろうか。


街だけじゃなく物件もいい。
部屋の広さ、日当たり、クローゼットの大きさ、キッチンの設備、ネットがタダ、防犯ばっちり、清掃ぴかぴか、宅配ボックス、きれいな植栽、広いバルコニー。
不満らしい不満がない。
そのうえ大家さん(会社)が、毎年ホワイトデーにピエール・マルコリーニのチョコをくれる。
「エアコンがカビ臭いから業者呼んで清掃していいですか?」と聞いたら「OK、新品に取り替えます」とプラズマイオンクラスター付きのエアコンに交換してくれた。

甘やかされている。


そんないいところからなぜ引っ越したいかと言うと、理由は「ペットが飼えないから」だ。
私は人並み以上に動物が好きだけれど、母は動物が苦手なので実家では一度も哺乳類のペットを飼ったことがない。(オカヤドカリは飼っていた。あれはあれでまた飼いたい)
そろそろ猫など飼ってみたい。
犬がいいけど、犬はお留守番があまり得意じゃなさそうでかわいそうだから。

でも、ダメ元で大家さんに頼んだらOKが出そうで怖い。
一生住んでしまう。


ここはとてもいい街で、だけど、ホントのこと言うと慣れてしまうのを少しだけ恐れている。

私はもともと知らない場所に自分を放すのが好きだ。
知らない街で電車を降りて、勘だけで歩いてみたりするのとか。
だから、暮らしもそういうものかもしれない。
少しだけ心細くなりたいのかもしれない。
その心細さで、大事なものを確認するために。


(そういえば、この3年で街がどんどん便利になったのと同じように彼氏もどんどん出世してしまったけれど、これやっぱり私、シムシティの住人なのかな)

2018年06月08日(金) 21時38分

ズルズル変える

「改善したほうがいいことを改善する」ということに、昔ほど抵抗がなくなってきた。

昔は「ここ直したいなぁ。でもぉ~」みたいなことを言ってなかなか手を付けなかったけれど、最近はわりとやる。
それは私がまともな人間になったからではなく、何十年も生きてきて「ひたすら日々が繰り返す」ということに慣れてきたからじゃないかと思う。

もっと若い頃は、人生のペースが掴めていなかったのでどんなことも短期的に考えていたから、パッと結果の出せないことに着手することに抵抗があった。
けれど、今は「そのうちできるんじゃないの」という開き直りが手伝って、とりあえず着手してズルズル変えていけるようになった。

パッと、ではなく、ズルズルと。
どうもこの「ズルズル」がいいみたい。


たとえば、ゴールドジムに通ってちょうど一年だけれど、私の腹筋は“みっちり”した。

30歳を過ぎた頃に、10㎏近く減量したら腹が凹んでヘソがショボくれた。
なんだろう。「I」だったヘソの形がちょっと「へ」の字になったような。

気になりつつも、ヘソなんか頻繁に人に見せるものではないのでほっておいたが、毎年ビキニを着ていてヘソがショボくれているのがどうにも許せなくなってきた。

どうもこの「へ」の字は、腹の脂肪がなくなったことによる皮のたるみのようだと気付いて、「つまり脂肪があったところを腹筋で埋めればいいんだろう」と、ジム通いを再開した。

ゴールドジムというマッチョの巣窟で、腹筋を鍛えるトレーニングをズルズルと一年やり続けた。

そして無事、私のヘソは「へ」から「I」になった。
おかえり、活きのいいヘソ。

腹斜筋やシックスパックの筋もうっすら出ているので、あとは体脂肪をさらに落とせばバッキリ割れると思うけど、「それが簡単にできれば太ってねーし」と思いながら、とりあえず「へ」の字に戻らないよう、引き続きズルズルとジムに通っている。


たぶん、もう少し歳を取って「老い」が加わると、そもそも自分を変えようとする力が衰えて「めんどくさい」「今さら変われない」になるのだろう。

いまが一瞬の“いい加減”な時期なんじゃないかと思う。 いつまで続くかな。


2018年06月06日(水) 19時26分

革のバッグを水洗い

心が無だし、無理なので、日々一生懸命である。

より良くあるために努力する方面に一生懸命なわけではなくて、いかにおだやかに、いい感じに暮らすかという方面で。

一生懸命の一環で、先週末、初めて献血をした。
献血は最高。
これについてはちゃんと書きたい。今はちょっと無理。無だから。


それと、捨てようと思っていた服や靴をブックオフに持参して売り払った。これも初めて。
店員さんに「こんなもん買えるか! 帰れ!」と言われるのを恐れて、タンス臭さを取るために服を干したり、靴の汚れを丁寧に拭き取ったり、おしゃれなセレクトショップのショッパーに入れるなどして努力した。
あと、そもそも自分自身が汚いとよくないと思ってきちんと化粧をして、毛先を巻いたりして、一番おしゃれで清潔感に溢れ、かつ金持ちそうなコーデを身に付けて出かけた。

そんなことしてもブックオフの人は私のことなど何も見ていなかったと思うけど、とりあえずゴミに出すつもりだった服たちはすべて売れた。
それぞれ小銭程度の値段ではあったけど、これで私にはもう似合わなくなったかわいいチェックのミニスカートなどに新しい持ち主が現れるかもしれないと思うと、そのことがうれしかった。
売ったけど、元々は好きな服たちだから。

しかし事前準備に疲れ果ててしまい、売り上げはソッコーでそのブックオフで叩き売られていた(が、洗えばいい状態にできると見た)ブランドのバッグを無駄に買って無に還した。無だから。私は。


家に帰って、買ったバッグをざぶざぶ水に浸けて洗った。
ちなみに革のバッグだ。布じゃない。バッグ本体も、持ち手もすべて革。持ち手なんかヌメ革。

最初はペンや化粧品の汚れがついたポケットの裏地だけ引き出してウタマロ石鹸でちまちま洗っていたが、そのうちヌメ革のショルダーが濡れたので面倒になって水に浸けた。
汚れが取れなかった部分は台所用のメラミンスポンジでこすったりした。
このブランドのショップの人が見たら悲鳴をあげるだろう。というか、たぶんだいたいの人が「うわぁ」と思うだろう。
これで革がハゲたり縮んだりしたら、まあそれはそれで仕方ない。


結果は、私の勝ちであった。

バッグ、とても綺麗になっていい感じ。
カオスと化した大型ブックオフの店内で見つけて一目で気に入ったヌメ革の持ち手は、ひときわ飴色に輝いて美しい。
最近人気がないから叩き売られているとはいえ、さすがブランド品だけある。
財布ぐらいしか入らない小ささだから、いつ使ったらいいのかわかんないけど。


このように、日々一生懸命である。


2018年05月29日(火) 20時33分