なにも最低ではない

会いたい人がたくさんいる。

彼氏のことは当然、毎日何回か思い出す。
でも昔好きだった人のことも結構思い出す。ないしょだけど。
一緒に働いていた人のこと、最近会ってない友達のこと、会いづらくなっちゃった人のこと、次の休みに会う友達のこと。

いつも誰かに会いたい。


朝、おなかの大きい奥さんと旦那さんが駅に向かって歩いている。
奥さんがあまりにボサボサでめちゃくちゃな格好をしている。
ああでも、愛されるために身だしなみなんかどうだっていいんだ。
綺麗でいる必要なんかないんだ。
ただしっくり組み合う組み合わせがあるだけ。
釘や接着剤なんてなくても、しっくり組み合うのが。

探さないといけないだけ。
見つからないかもしれないだけ。


目の前にあるのはただそうであることだけで、なにも最低ではない。
最低にしているのは私で。
あれもこれも、そうあることだけ。
でも会いたい人がいて寂しいのが嫌いな私がいるのも、たぶん、そうあること。


香水の匂いがする。
あの人の匂いのような気もするし、私がかつてつけていた匂いのような気もする。


おいしい水を買って飲む。
残りをバッグにしまう。
毎朝同じ景色が、電車の窓の右から左に過ぎていく。


何をどうするか考えてる。
何をどうしたら楽しくなるのか考えてる。

2017年09月11日(月) 22時12分

言い回しの沼

この夏から広告の仕事に戻って、数年ぶりに文章をこねくり回すという大好きな作業をしている。

私が書くこともあるけれど、他のライターさんが書いたものをチェックすることが多い。
そうすると、自分で書いているだけでは気付かないことに気付く。
どこかで読んだような言い回しが、隙間を埋めるように出てくること。
やたら文末が「!」なことや、「盛りだくさん」で「勢ぞろい」なこと。
一旦「ま、仕方ないか……」と思うのだけれど、「いやいやいや、ダメでしょ!!」と踵を返して、もっと適切な言葉を探す。


広告の最低限のルールは、その内容が「本当のこと」であることだと思う。
しかし、けっこう難しいのが実際で、クライアントに「では、この商品の広告を作るので情報をください」と言っても「○○○円です」「色は赤です」ぐらいの返事しか返ってこないことがある。
いくら正しくても、商品名と価格と写真(最悪、写真がなかったこともある)だけで、お客さんに「これ買いたい!」と思わせる文章を書くのは、かなり難しい。
というか、それだけじゃ何文字も書けない。

そういう時にやりがちなのが、「なにも言っていない言い回し」だ。

たとえば、クッキーとかマドレーヌとかの焼き菓子があるとする。
これを売らないといけない。
しかし実物を見たことがない。
味もわからない。
でも書かなくてはならない。

どうする?

「厳選した素材を使用して、職人がひとつひとつ丁寧に焼き上げました。」だ。

そして「風味豊か」で「優しい甘さ」だ。

これは、この世に存在する、ほぼすべての焼き菓子に当てはまる言い回しだ。
「(長年ズブズブの仕入れ業者から、いちばん安いのをさらに叩いて激安で仕入れた粉や卵を)厳選しました!」と言えば言えてしまうし、機械化された無人の工場でもない限り、そりゃ人がひとつひとつ丁寧に焼くだろう。雑にやったらヤケドするし。

こういう“なにか言っている風だけど何も言っていないコピー”は、世の中にたくさんある。
なんとなく立派に見えるし、馴染みのある言葉を組み合わせているので読みやすいから。
その代わり、何の特徴も説明していない。
これだけ言葉を使っても、他の焼き菓子との違いがわからないので、焼き菓子に「焼き菓子です」と書いたのと同じぐらいの情報しかない。

私だってハタチそこそこの頃は、困った末にこんなのを書いて「よし、なんとか逃げ切れたぞ!」と思ったことがある。恥ずかしい。
でも、今は恥ずかしいと思っているからマシなのだと思う。
最悪なのは、無自覚なライターが平気でこういう言い回しを量産することだ。
何も言っていない言葉なら、その分、商品の写真を大きくしてもらった方がまだいい。

あ……。
なんか、書いてて自分のこと小姑みたいに思えてきた。
こういうのをねちねち言っているのは、かつて自分で書いて恥ずかしい思いをしたことがある私みたいなライターと、ちょっと偏屈なお客さんだけで、大体の人は「ふーん」と読み流すだろう。
でも、読み流されちゃうのがダメなんだと思う。
商品そのものはすごくいい物かもしれないのに、誰にも気付いてもらえないかもしれない。
そうなると、商品自体も、作った人も、売りたい人も、それを探しているかもしれないお客さんも不幸になる。

だから、しつこく情報を依頼したり調べたりして、ウンウン唸って考えるのだ。


迷ったら白い紙を用意する。
商品はどういうものなのか。
どんないいところがあるのか。
どんなときに便利なのか。
ただ素直に書き出して、言い回しに頼らず言える「本当のこと」を探す。

この作業に既視感を覚えてよくよく考えてみたら、詩を書く時と似ている。
言いたいことを削り出す作業だ。
っていうか、詩集を出したことで、仕事でも言葉を削る作業によりシビアになってしまったんじゃないのか。

「広告は、創作のような自己表現ではない」というのは基本だけれど、本当のことを伝えたいという気持ちが極まって、逆に創作みたいになってきてしまったのでは。

こんなのブログに書いて、私、すでにだいぶ気持ち悪いのでは……。


ホント、言い回しは沼。

2017年09月11日(月) 22時10分