メニエール病になった

少し前に風邪をひいてしまって、それが治ってきたところで左耳に違和感を覚えた。

いつものやつだ。難聴。
はいはい。知ってます知ってます。またアレね。

風邪をひいたりすると誘われるように出てきてしまう。
音が割れて聞こえる。
しかも今回はめまいもする。
耳鼻科に行って聴力検査をしたら、やっぱりいつも通り低音が聞こえづらくなっていた。


「メニエール病だと思いますね」

とお医者さんが言った。

「え?」

そりゃめまいがすると言ったけど、そんな。
何度もこういう難聴になっていることを告げたけれど、お医者さんはビシッとそう言ったまま診断を変えなかった。


まあ、でも、治ればなんでもいい。
内耳に水が溜まっている状態らしいので、利尿剤や血行を改善する薬などを大量にもらって、10日ほど様子を見ることになった。

耳の聴こえづらさは2日で治り、「メニエール病? ちょろいじゃん」と思っていたら、強烈なめまいに襲われた。
仕事中、立っているのも座っているのもつらいほど目が回る。
なにもしていないのに乗り物酔いの状態。
今にも吐きそうで、早く家に帰りたくても電車に乗るのが怖い。

ある日、いよいよ仕事中に気持ちが悪くなって吐き続けてトイレから出られなくなり、その日は早退した。
体を揺らすことがすべてめまいを増幅させるので、1mm動くだけでつらい。

「なめてた……」

お医者さんがあんなにきっぱり言った意味がわかってきた。
診断に自信があったからとかじゃなくて、「また難聴でしょ?」という私にちゃんと病気を意識させるためか。

これはもしかすると、厄介なことになったかもしれない。


「メニエール病」とネットで検索してみる。
「ストレス病」と書いてあって、ため息が出る。

私というやつは、本当に。

自分の気持ちがまだまだやる気のときでも、先に体がおかしくなって「あれっ?」となったときには倒れている。

そういえば最近ちょっと、考えることが多かったかな。
そういえば最近ちょっと、寝不足も続いていたかも。

ずっとやらなくなっていたけど、また気付いたら歯をギリリと噛み締めている。
夜中に目が覚めたとき、まつ毛を抜くように引っ張りながら触っている。

こういうのは、何かストレスがかかったときに私が無意識にやる不思議な行動で、ということはつまり、そうなんだろう。


最近、わりと気負っていたことがあったのだけど、それが2つほど先方の都合でナシになった。
やりたかったので残念だったけど、これはこれで、「ハイ、いまのお前にはムリムリ」と神様が整理している気がする。


こうなったら、自分を甘やかしてやる方法を考えた方がいい。
気分の良くなりそうなことをやってみる。

好きな服を買う。
たくさん眠る。
友達と会う。
おいしいものを食べる。

そして疲れるようなものを手放す。
部屋が散らかっているといらいらするので片付ける。
洗濯物も片付ける。

ってやってると、また知らぬ間に忙しく動き回っていて疲れてしまいそうになる。


ほんとにほんと、私は私だな。


2017年05月13日(土) 06時52分

ゴールデンウィーク・ゴールデンタイム

長い長い文章を、ぽつりぽつりと区切りながら送った。

伝えたいことが山のようにあるのに、私の選んだ言葉とそれによって組み上がった文章は、その思いをちゃんと伝える形になっただろうか。

心をこじ開ける鍵の形に。
それとも、鈍器かナイフに。

言葉は、ただの道具。素材。
それ自体なんにも特別じゃない。べつに意味もない。

思いがあって、どう使うかの話。

私はなんだかんだで、言葉という道具、素材を使うのが好きだ。
幼稚園とかそんな歳ぐらいから、言葉を使ってどうにかしようとしてきた。

何度か書いているけど、たぶん歌は下手だし楽器はできないし踊れないし絵もそんなにうまくないからじゃないかと思う。
それでも楽器や絵に憧れがあって、言葉よりもカッコよくて好きだったけれど、なぜか私はどれも下手くそで、そうかと思えばべつに好きじゃないのに言葉の方は褒められることが多かった。

使える道具が私にはそれしかないから、好きになったんだと思う。


ゴールデンウィークは、ほぼ毎日仕事。
今朝も電車はガラガラで、せいせいする。
人とちょっと一拍ずらすみたいな時間が、私は好きだ。
文句言いながらも、世間が休みの日に仕事に出るのは嫌いじゃない。

転職の話を、昨日社長にした。
辞めたくて辞めるというよりは、上司や同僚の働き方を見ていて、自分がこんなふうになるには自分の本来の分野でもう一度頑張ることだと思ったからだ、と伝えた。

尊敬する上司を見て辞めようと思うなんて申し訳ないけれど、と言ったら、社長にはそれで伝わったような気がする。

「武田、ノルマひとりな」と、自分の身代わりをみつけてくるようにと冗談を言われた。
ナントカ大賞を獲ったという有名な、おいしいケーキをごちそうになった。


ふぅっ、と息をととのえて、もうしばらく頑張る。


2017年05月05日(金) 07時30分

贈り物ができない

大事な親友が入院するから、何か素敵なお見舞いを贈りたくて、街やインターネットをずっとうろうろしている。
ずっとうろうろしているのに、何が素敵なものなのか、わからない。

焦って変なものを手にして迷って「いや、これはあんまり」と戻す。
脂汗をかきながら、どうしたんだ、と怖くなる。
好きなものや素敵なものが、わからないなんて。

「最近ちょっと体調を崩したり仕事が忙しかったりして、気持ちが穏やかじゃないからだ」と言い聞かせてみるけれど、もともと私は贈り物が苦手だ。

小さな贈り物をいただくのは大好きで、そういうことが上手な人にすごく憧れている。
親友も、贈り物が上手だ。
やさしいし、まめなのだ。

自分もそうなりたくて真似しようとするけれど、いざとなると全然気が利かない。

いつも考えすぎてしまう。

「私はいいと思うけど、あの人はそう思うだろうか」
「こんなのあげたら、変に思われるんじゃないかしら」

考えてしまって、結局やめる。
やめるということは不義理をはたらくことになるので、なんにもいいことがない。
それならなんでもいいから贈ればいいのに、考えれば考えるほど何がいいのかわからなくなる。

いつも、軽やかになれない。


私にはこういうところが他にもあって、例えば手紙だ。

小学生の頃、東京から千葉に引っ越した。
当時はメールなんてないから、東京のたくさんの友達から、一斉にかわいい便箋で手紙が届いた。

私も便箋を買い込んできて返事を書いた。
伝えたいことがたくさんあるので、ひとりひとり何枚も何枚も書く。
間違えて書き直したり、読み返して言い回しが気になって悩んだりしていたら、それに疲れ果ててしまって書けなくなる。
返事ができなくなって、みんなを怒らせたりした。


もういい歳なのに、その頃から変わらない自分にがっかりしてしまう。

でも子供の頃も、今も、「この人に」と思って悩むほど大事な友達がちゃんといるってことはわかった。

ありがたい。
贈り物がしたいのに、また友達の方にもらってしまった。


明日また考えよう。


2017年05月03日(水) 23時46分

フローリアンが満開

‪フローリアンが満開。‬

‪私の憧れの人、柳生真吾さんが亡くなって2年。‬
‪自分が広めた花の咲く頃に亡くなるなんてできすぎてるしやめてよ真吾さん、って思うけど、かっこいいなと思う。きっと毎年思う。

http://www.yatsugatake-club.com/whats/cingo.html‬







2017年05月03日(水) 09時47分

【旅行記】逗子と葉山と彼氏と私

連休だというのに予定がない。

朝6時に目が覚めてそこからネットで調べたりしたものの、どこに行きたいかわからず、なんとなく逗子とか葉山に向かうことにした。だって、海はいいじゃん。
とはいえ寝ていたい気持ちもあり、たっぷりとごろごろして家を出たのは12時を回ってから。

品川で京急に乗り換えて行こうと思ったけど、ふと、総武線快速のボックスシートに座って窓辺に頬杖をついている白いシャツの女性が見えて、その人がとても美しかった。
それでなんとなく、私も逗子行きの快速で向かうことにした。

総武・横須賀線の快速には、なぜか普通車のうち2両ぐらいボックスシートがある。あれが私はすごく好きだ。“旅”って感じがする。

乗り込んで、運良く窓際に座れたところで、彼氏から電話がかかってきた。
平日の昼間に電話がかかってくるなんてはじめてなので、動揺する。
降りるか迷ったけど、LINEで折り返したら、すぐに返事が来た。

「声が聴きたくて」

思ってもいなかった返事でポカンとした。
午前中のあわただしさに疲れてしまって、移動中に電話してきたのだという。
「うれしい」と伝えた。

あてもない旅をする前に、好きな人からの電話。思いもかけず贅沢な気分になる。予定もなくひとりぼっちな自分が、帰ってくる場所を知らされるようで。
たぶん私は、ずっと前からそういうのが好きなんだと思う。自由にどこでも行きたいけど、寂しいのは嫌だ。
「ちゃんと帰ってくるんだよ」とゆるく縛っていてくれる誰かがいること。
そういうの、なんていえばいいのか前に考えたことがあったけど「放牧」がぴったりな気がする。牛。


こうやって電話がかかってきて心底びっくりするぐらい、私たちはあまり恋人らしい付き合いをしていない。それは、彼が仕事に忙しいことが理由で。
いま「彼の仕事が忙しい」と書いてから、ちょっと違う気がして書き直した。
私たちはいつも瀬戸際にいる。
愛されているし愛している。でもそれは、言葉だけの確かめ合いでしかない。あの人はやさしい。あの人の幸せに本当に私が必要かどうかは、「愛してる」の言葉だけでわかることではない。
手応えのない日々が続いている。無意味が立ち上がってくる。
「私たちが生きたい人生は重なるのだろうか」と、たまに思う。
もしかしたら、彼とはだめかもしれない。だめなら、どうする?

そういう瀬戸際で、お互いを思っている。
夜、電話で話す約束をした。


◆◆◆


電車は品川を越えて、普段はあまり行かないエリアに入っていく。もともとこのあたりの出身なので身近な感じがするけれど、それも西大井までだ。武蔵小杉からは別世界。でも川崎だけはちょっと身近になる。私の生まれた羽田と橋で繋がっていたから。

千葉から東京を抜けて、神奈川へ。途中で飽きるかな? と思ったけれど窓の外を見ていたら飽きなかった。
北鎌倉を出たあたりで思いついて、七尾旅人の「湘南が遠くなっていく」を聴く。ちょうど鎌倉に着くときに、歌詞の「電車に揺られ 鎌倉まで」が重なってくる。

あじさいの頃になったら、彼と鎌倉に来たい。
付き合う前に「一緒にあじさいを見れたら楽しいだろうなって思うんです」と言われて、素敵な人だと思った。
ずっと約束してるけど、二度の夏が過ぎてしまった。今年は?


◆◆◆


14時すぎに逗子の街に着いた。晴れていて、3月のくせに風が冷たかった。
駅前の案内板を見たけれど、地図が広範囲すぎてどっちにすすめばいいのかよくわからない。
あてずっぽうに海を目指す。
しばらく住宅街やバス通りを歩いた。小さな一軒家のイタリアンレストランと「いずみ」という名の飲み屋を見つけて「おっ」と思った。
iPhoneの中から、斉藤和義を選ぶ。「海に出かけた」が流れてくる。

でたらめに歩いていたら川があったので、それに沿って歩いたら遠くに海が見えてきた。
おじさんと散歩をしているゴールデンレトリバーが、よく見たら木の枝をくわえている。きっと砂浜であれを投げてもらうんだな。尻尾を振りながらうれしそうに歩いていて、かわいい。

川沿いにある民家を改造したおしゃれなカフェの店先に、白木蓮が咲いていた。それが子供の背丈ほどのとても低い木なのでびっくりした。木蓮というと大木になりやすい木だから。きっとうまく剪定しているのだろう。盆栽みたいに。
木蓮って好きだ。あの世っぽいから。その周りだけ別の空気になるような感じ。そんな花が細くて低い木に咲いていたから不思議な違和感があって、余計に目を引いた。


海に近くなると家々は見るからにおしゃれになって、だいたい庭先にサーフボードやシーカヤックが置いてある。賃貸アパートですら外にロングボードを置く棚があった。
いいなぁと思う。私はサーフ文化に妙な憧れがある。あの人たちは、のんびりと自由に見えるから。
女の人はメイクもせず髪を無造作にひっつめていて、日焼けした皺っぽい笑顔が絵になる。男の人はだいたい悪い男だ。悪い男には、いい男も多い。

昔から海に憧れている。泳げないからかもしれない。子供の頃、転校のタイミングで泳ぎ方を習いそびれたからだ。泳げないけれど、水に浮くことだけはできる。
彼氏は「昔、サーフィンもやった」「台風の日に海に出て、母親にすごく怒られた」と言っていた。あの人はよく私のことを「なんでもできるね」と褒めてくれるけど、あの人の方がスポーツやら楽器やら、なんでもできる。
今は仕事しかしていないみたい。
しているのかもしれないけど、あんまり知らない。
知らないことに、慣れてしまった。

iPhoneから、「かすみ草」。


◆◆◆


逗子にはゆかりのある文学者が多いらしい。徳冨蘆花の記念公園があって、広場で小学生がランドセルを放り投げてボール遊びをしていた。なつかしい。今の子もこういう感じで遊ぶんだ。
髪の長いませた感じの女の子だけが、すこし離れてスマホをいじっていた。

遊歩道、とは名ばかりの山道を上がってみる。花が咲いているわけでもなく寒々しくて寂しいけれど、途中途中に四季折々の蘆花の随筆が書かれた看板があって、それがとてもよかった。ひとつひとつ読んで歩いた。
遠くに目をやると、木々の間に海が見える。

しかし文学者はこういう風光明媚なところが好きだな。旅行に行くとだいたい誰かしらゆかりのある作家がいて、公園やら記念館やら石碑やらがある。
美しい町で、日がな一日、自然の声を聞いて、文章を書いて。
でも、それで素晴らしい文章が生まれるのだから、作家にはのんきな生活をさせなければいけない。才能のある人は、そのために色々許されなきゃならない。
いや、でも私、ピカソの絵がすごく好きなのに女癖の悪さでピカソ自身のことは「ヤバいじじい」だと思っている。
芸術家がどんな人間性でも作品が良ければそれでいい、とも思うけど、そう思いながら割り切れない部分もあって。
いい作品を作ってもクズはクズだし、クズが作ってもいい作品はいい作品だ。
いや、徳冨蘆花はそんな放蕩はしていなかったようだけど。


◆◆◆


頂上にある郷土資料館は見ずに、そのまま遊歩道を引き返してきた。子供たちはまだボール遊びをしている。自転車が何台も横倒しに置いてある。あれ、私もやってた。なつかしい。なんでだろうな、子供って自転車のスタンドを立てないで横にして置く。ただスタンドを立てればいいだけなのに、その間も惜しんで遊びはじめる。

公園の出口のそばの草むらに猫が2匹、伸びをしたり小走りに走って草にじゃれたりしていた。「触らせてくれる猫か?」とわくわくして見たら、その近くにさっきの髪の長い女の子がいて、スマホで猫の写真を撮っていた。
女の子は私に気が付くと「はっ」として、ごまかすようにスマホをいじった。

ちょっと歳よりませていて、いろんなことを考えてしまうタイプの子だろう、と勝手に想像した。
今は子供らしさを求められて気苦労も多いだろう。けど、そのうち自由になれるよ。もうちょっと大きくなったら。私みたいに休みの日にあてもなくふらふら歩きまわってたって、猫の写真を撮っていたって、変に思われなくなるよ。

あえて彼女に気付いていないふりをして、私も猫の写真を撮った。
公園の横にある家の、低い塀の上で箱座りしている、怒ってるみたいな顔をした猫だった。
怒ってたのかな?

彼女はちょっと離れたところから、私を見ていた。


◆◆◆


公園を出て、海への道に戻る。途中のコンビニでシュークリームとジャスミンティーを買った。見えてきたのは逗子海岸。
砂浜にも子供が大勢いて、学校や地域の遠足かと思ったけれど、そういうわけではなさそうだった。なんの遊具もないのに、みんなでキャアキャア言って遊んでいた。

風が強くて寒いけれど、晴れていて砂浜も海もきれいだ。することもないので貝がらを拾う。砂浜の貝は、海に洗われてみんなセピア色をしている。波打ち際にたくさんの貝がらが埋まっているところがあって、そこがモザイクみたいできれいだった。

それから砂浜に転がっているコンクリート片に腰かけて、海を見ながらシュークリームを食べた。


◆◆◆


せっかくだから葉山まで行こうと思って歩き出した。海岸線沿いに歩けば行けるだろう。たぶん。
トンビがたくさん飛んでいてうれしくなった。私、トンビが好き。悠々と飛ぶ姿も、ピーヒョロロロロっていう鳴き声も。

そのうちヨットのセールが林のように何本も立っている葉山マリーナが見えてきた。このあたりは大学のヨット部の合宿所が多いらしく、髪を濡らした男の子たちがTシャツにハーフパンツの姿で歩いている。練習帰りだろう。
あるアパートにふと目をやったら、エントランスの脇にある砂落としのシャワーを浴びている、引き締まった肉体の男の子と目が合ってしまった。なぜかあちらも私を見ていて数秒見つめ合ってしまい、慌てて目をそらす。
「うわー、胸筋ピッチピチかよ!」と興奮したけど、これじゃ若い女の子の水着姿にニヤニヤするおっさんと同じだな。ごちそうさまです。


◆◆◆


森戸神社というところがあるらしいから、できればそこに行きたい。バス通りをまた歩き出す。
もし誰かが一緒だったら「疲れるからバスに乗ろう」と言われると思う。でも私は全然平気。歩きたいときは、いつまでも歩く。バスに乗りたくなったら、バスに乗る。全部、気分が決める。
乗る気はないけど途中の停留所で時刻表を見た。たくさん通っている。便利だ。

歩道もない片側一車線の道は、たくさんの車が走る。ひかれないように小さくなりながら、でもずんずん歩いていく。
潮風でトタンの錆びた家。海に続くなだらかな坂の路地は、きまってアスファルトじゃなくコンクリートだ。昔ながらの、海の町の景色。そんな景色のところどころにリノベーションされたおしゃれな雑貨屋さんやカフェがある。さすが湘南。

おしゃれなお店ではなく、昔からある古い陶器屋さんが気になった。茶碗や土瓶が、薄暗い店内でほとんど何年も動かしていないようなやる気のない陳列をされている。ガラガラ引いて開けるガラス戸の前で、中には入らず奥の様子を伺う。
棚で埃まみれになっている醤油差しが目に留まった。白い磁器に藍色でかわいい野の花が描かれている。マジックの走り書きで、値札に「100円」。
グッときてしまったが、またデッドストックみたいな安い食器をたくさん買ってしまいそうだから、あえて通り過ぎた。
昔の食器ってかわいくて、だめだ。すぐ欲しくなる。


◆◆◆


目的地の森戸神社の入口が見えてきた。立派な石柱が立っていて、石畳の参道が続いている。
鳥居のそばの低い松の木に、何匹もトンビがいて「ピーヒョロロロロ」と鳴いていた。トンビかっこいい。トンビ好き。顔が猛禽類だ。こんな近くで見られるなんて嘘みたい。
でもトンビはカラスに威嚇されて逃げたりしていた。どこに行ってもカラスは強いな。

本殿の他にもいくつか社があった。いちばん立派なのが「安産祈願 子宝祈願」と書かれた社で、困惑しつつ、でもスルーするのも失礼だしと思って、そこも手を合わせておいた。

神社の裏手はとても広い広場になっており、その先は岩場と海だ。なんだか石の庭という感じがして美しかった。
海のよく見えるところに石原裕次郎の碑があった。そういえば逗子海岸には兄貴の方の碑があったけど、お構いなしの子供たちの腰掛け兼荷物置き場になっていた。

傾きかけた太陽は、あと1時間もせず海に沈むのだろうな。三脚を立てて夕暮れを待っているおじさんもいた。
しばらく私も腰掛けていたけれど、風がとても強くて体が冷えてしまって、夕暮れまでは待てそうにないと思って引き返した。


◆◆◆


目的も果たしたし、そろそろ逗子駅の方に戻る。せっかくなのでバスに乗ることにした。そういう気分だから。
見つけたバス停には箱形の小さな待合所があって、真っ白に塗られた壁で、海の方に窓がついていて、なんだか小部屋のようで洒落ていた。
窓から見える「夕陽になる前の太陽」が素敵だったので、何枚か写真を撮った。

10分ほどでバスが来て、私が歩いてきた道をそのまま戻っていく。
後ろに乗っていた大学生らしき女の子2人組は、私と同じように日帰り旅に来たらしく、「楽しかったねー」「泊まりたくなっちゃうねー」と言い合っていた。
彼女たちは高校の同級生らしい。当時の担任の先生の話で盛り上がっている。
私もたまに、高校の同級生と旅行に出かける。私たちにもあんな頃があったなーという気がするし、今も同じような感じ。
また友達とどこかに出かけたいな。


◆◆◆


逗子駅に戻ってきた。バスに乗っている間に太陽は無事に海に沈んだらしく、あたりは薄暗くなって夜の始まり。
「何か食べてから帰ろう」と思ったけど、何がいいだろう。昼間に見たイタリアンの小さなお店を思い出して、またあてずっぽうに駅から歩き出した。
駅のまわりは近くで働く人たちや学生たちがあわただしく行き交っている。まだ17時すぎ。

迷いながらも、昼間見たあの小さなお店を見つけた。入り口前の看板に「ディナープレート」の文字。メインは数種類から選べるらしく、その中に私の好物のキッシュがある。
ドリンクも数種類。「たっぷりのグラスワイン」と書かれている。せっかくだから大人ぶってワインもいいな。

お店に入ると、奥の方の席でたくさんのお客さんが会食をしていて、手前に子供連れの夫婦が座っていた。一瞬貸切かと思ったので躊躇した。お店の人も、忙しくて気がつかないのか全然出てこない。何度か声をかけたら、なれない感じの女性の店員さんがやっと気付いた。
「ひとりなんですが」と言ったら、「どうぞ」と4人掛けの席に案内してくれた。

オーナーか、オーナーシェフの奥さんかお母さん、といった感じの女性がメニューを持ってきてくれた。
「ごめんなさいね。パーティーがあって、今日はディナープレートしかできなくて」
「いいですいいです。じゃあそれで」
店員さんは二人とも手際があまり良くなくて、ぱたぱたと忙しそうだ。手伝いたくなってしまう。

これじゃなかなか料理も来なそうだと思って、かばんから本を取り出した。
向田邦子さんのエッセイ。大好きな本。10年以上前に古本屋さんで買ったのですっかり茶色くなってしまっているし、カバーもぼろい。でも、たまに本棚から引っ張り出して読みたくなる。
向田邦子さんは美人だ。昔、写真を見てびっくりした。美人な上に、あんなに仕事もできたなんて。
文章は小ざっぱりとしていて、情と品がある。それでいて恥ずかしい失敗やちょっと頑固なところも隠さずに書いていて、すごくチャーミングで。
人も文章も、美人だったんだと思う。

「ワインを先に出してあげて」というオーナー(憶測)の女性のやさしい声がした後、私のテーブルにグラスワインが運ばれてきた。
ギョッとした。本当にたっぷりだ。看板に偽りなし。ただでさえ大きめのワイングラスに、赤ワインがなみなみと注がれている。
私はお酒が好きだけれど、残念ながらとても弱い。ワインなんて本当に注意してゆっくりゆっくり飲まないと、グラス半分でも具合が悪くなるぐらい。
これ、飲み切れるだろうか。飲み切ったら家に帰れないんじゃないか。でもまだ時間は早いし、ゆっくり飲むことにした。

しばらくして運ばれてきたディナープレートは、おいしいものばかりだった。
酸味の効いたドレッシングのかかったサラダと、新鮮なトマトの乗ったブルスケッタ、素朴なポテトサラダ、旨味をぎゅっと凝縮したようなほたてのキッシュ。

つまんではワインを飲み、本を読む。自分のやってることが“大人の女”すぎて、ばかみたいにうっとりしてしまった。
悦に入ってる時点で全然大人じゃないんだけれど。


◆◆◆


ワインは無事飲み切った。飲めると思わなかった。お店を出る前にお手洗いの鏡で顔を見ても、ほんのり赤いだけだった。今日一日のびのび過ごしたから、体調がよかったのかもしれない。

「おいしかったです」と笑顔で言って、笑顔で見送られて店を出た。

それでも酔っ払っているのは確かで、ふらんふらんと歩き出した。
夜の逗子を少し散歩してから帰ろう。まだ19時過ぎだ。夜風が気持ちがいい。酒飲みは毎日こんなに気分がいいのかな。

昼間見かけた「いずみ」という飲み屋の前で立ち止まった。
道路に出ている看板は「いづみ」になっている。どういうことだ。結局どっちなんだ。「ず」か「づ」か。同じいづみとして、もうちょっと「ず」と「づ」にこだわりを持ってほしい。

駅の方向はだいたいわかっているので、通りたい道を好きなように歩く。住宅街、商店街。
これから家に帰るのであろうサラリーマンと並んで信号待ちをした。こんなことをしている私の姿は、きっとどう見てもこの辺に住んでいる人だ。
どこへ行ってもその街の住民みたいな顔で歩けるのは、ひょっとしたら私の才能かもしれない。なんの役にも立たないけど。
知らない場所でも平気で歩いていられるのは、軽く迷子になることが好きだからだ。少しの心細さは自由の味のような気がして。友達は「知らない街は不安だし、そんな怖いことしたくない」と言う。

お土産らしいものも見つけられず逗子駅に着いたので、あっけなく改札をくぐった。


◆◆◆


帰りもボックスシートに座りたくて、長いホームを歩いて車輌を探した。
19時台に逗子から東京に向かう電車はさすがにもうガラガラで、座り放題だった。
電車はゆっくりと私の家の方に向かって戻り出す。

彼氏からLINEがきた。
「何時に家に帰ってくるの?」
「いま電車だから、21時過ぎかな」
「わかった」
今日はなんだろう。こんなやり取り、ふつうの恋人同士みたいだ。
ずっとこんなふうならいいのに。これが当たり前ならいいのに。

また鎌倉を通る。北鎌倉駅はもう暗い。
線路沿いの小さなカフェのような店が見えて、中で大人の女性が二人でゆったりとご飯を食べていた。
キャリアウーマンで、鎌倉在住か。いいなぁ。私とはちがう世界が見えた気がする。でも、できなくはない気もする。


◆◆◆


自宅の最寄り駅についてから、駅前の銀だこでたこ焼きを買った。ワンプレートはおいしかったけど、”おしゃれ盛り”だったから正直ぜんぜん足りなくて。
あったかいたこ焼きをぶら下げて家への道を歩いていたら、着く前に彼氏から電話がかかってきた。
歩きながら、今日あったことを話した。

「そうやって、ひとりで出かけられるの、いいと思う」

今日の私を褒めてくれた。

私もそう思う。
たまにひとりで出かけたい。
自分を放って、自由にさせてやりたい。

「おかえり」
「ただいま」

出かけるから、こうやって帰ることができるんだと思うから。



2017年04月29日(土) 20時22分